2011年を振り返り、2012年への展望

2011/12/05>代表取締役社長 原田敏弘 

 

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代表取締役社長 原田敏弘(TOSHIHIRO HARADA)

ごあいさつ

 2011年3月に発生した東日本大震災でお亡くなりなった方々に心より哀悼の意を表しますとともに、被災された皆様方に心よりお見舞い申し上げます。
 日本経済を取り巻く環境は、震災とそれに伴う福島第一原子力発電所の放射能漏れ事故、さらには急激な円高、そして構造的な生産年齢人口の減少などによって苦しい局面にあります。当社の属するこんにゃく製造業界においても、主産地の群馬県の放射能汚染を心配する声や天候の影響による不作、それに伴う原料高騰、さらには国内消費の不振など、マイナス要因ばかりが目につきます。
しかしながら、そのようなマイナス面にばかり目を向けていても事態は好転いたしません。弊社では閉塞感の漂う業界にあって、新たな分野に果敢に挑戦すべく、2004年以来中国からミャンマーへと国際化と川上強化戦略を推進して参りました。そのような取り組みが功を奏し、おかげさまで新たなお客様とのご縁も生まれ、そして新しい商品分野に進出する機会を得ることが出来ました。
こんにゃくの歴史を紐解きますと、こんにゃく芋の原産地はインドシナ半島あたりと言われ、それが中国へと広がり、日本には仏教伝来と共に伝わったとされる説が有力です。しかし元々の原産地や中国ではこんにゃくを食する文化は広まっていないのに対して、日本では世界一こんにゃくを食べる食文化が花開いています。何故でしょうか?
その理由は、こんにゃく芋を乾燥して粉末化する技術を日本人が発明し、一年中保存でき広範囲に流通できる技術革新を成し遂げたからなのです。1776年頃に水戸藩(今の茨城県)の農民、中島藤右衛門がこんにゃく芋を輪切りにして天日乾燥し、臼と杵を使って粉末化することを考案しました。こうしてできたこんにゃく粉は特産品として全国に広く販売され、水戸藩の財政を潤したとして中島藤右衛門は名字帯刀を許されたとされています。その70年後、江戸時代後期の1846年には「蒟蒻百珍」という本が刊行され、77種類のこんにゃく料理が紹介され、こんにゃくは庶民の食べ物として広く普及していったことが判っています。
当社では、こうして日本で花開いたこんにゃく食文化をさらに深く追求し、こんにゃくの持つダイエタリーファイバーとしての機能性を生かした新しい商品や用途を開発し、世界に向けて発信していくことに取り組んで参ります。そして弊社の経営理念である「人類、社会の健康で豊かな食生活に貢献する」という遠大なテーマに挑戦して参ります。
皆様方のご愛顧並びにご支援、ご協力を心よりお願い申し上げ、ご挨拶に代えさせていただきます。何卒宜しくお願い申し上げます。

2011年12月5日
株式会社原田食品
代表取締役社長 原田敏弘

 

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